おそらく人生最大の正しい選択 [雑談]
などと思いつつ椅子から立ち上がろうとすると、
とっとの友達がいっぱい褒めてくれたぞ!」
モリ淳史的・大感謝祭 [雑談]
週末から昨日にかけて、
漫画家人生最大とも言える危機的状況に直面していましたが、
とりあえず切り抜けることができました。
ほとんど休まずに泊まり込みでサポートしてくれたスタッフMくん。
翌日別のところで仕事があるのに、
延長して始発まで手伝ってくれたスーパーヘルプのSくん。
本当にお疲れさまでした。
修羅場中の不規則な食事・休憩の要望にしっかり応えてくれました。
長女はテンパっている私を見て、手紙を書いてくれました。
新婚さんなのに、週末の休みを返上して
いろいろな調整に奔走してくれました。
猫どもは、入れ替わり立ち代り仕事部屋に現れ、
重い空気漂う仕事部屋に
心の潤いを与えてくれました。
本当に多くの人に支えられて漫画家を続けていられるのだな、
ということを実感しています。
カッコつけるわけではないですが…
いや、ここはカッコつけさせてください。
この感謝の気持ちは、漫画をしっかり描いていくことで
皆さんにお返ししたいです。
10月から、新しい作品も動き始めました。
ひとりでも多くの方に読んでもらえるよう、
頑張っていきたいと思います。
ありがとうっ!←谷村新司風に
笑福亭鶴瓶落語会in新宿角座 [雑談]
... 枕がわりに近況のフリートークがはじまる。
なんでも、角座で最初に落語会を開いた時、待ってるお客さんがヒマやろうから、
そう、今日のネタは、6代目松鶴の十八番でもある「らくだ」。
今回の方がこなれててバツグンに面白かった。
1時間強の「完全版」を完璧に演りきり、下げも決まって拍手が起こる中、
鶴瓶さんは何故か高座を降りず…
なんと!そこから鶴瓶さんオリジナルのエンディングストーリーが始まりました(笑)
で、もう一度同じ下げで終了(笑)
いやあ、このサプライズエンディングは予想してなかった!
「これ、3年ぶりに演りましたけど、前からラストの部分がどうもしっくり来ないな~と思ってて。
定番「とんかつ茶漬け」を食べ大満足!
とても充実したよい1日になりました。
まあ、戻って仕事するのがちょっと面倒でしたが、それはもう社会人ですからして(笑)
うしっ、朝まで頑張るぜっ!
母親のこと、あれこれ。 [雑談]
4月19日木曜。
神戸の実家に住む母親が倒れた、という知らせを受けたのは、
修羅場明けのテニススクールで汗を流して帰ってきた午後、もう夕方近くのことだった。
仕事部屋でメールチェックしていると、嫁が電話の子機を持って飛び込んできた。
「お母さん今朝倒れて、救急車で病院運ばれたって!」
電話を変わると、同じく神戸に住んでいる姉がまくしたてた。
「あんた何してたん?今朝○○(兄の名前)がメール出したのに返事ないからって!」
「メール?今見てたけど何も届いてないよ」
「携帯よ!ちゃんと見た?」
あわてて携帯を取り出す。電話番号で送れるショートメールの方に着信があるのを確認した。
「ショートメールなんか普段使わんから気づかんかったわ!それより容態は?」
「肺血栓起こしてて、肺の片方が全然機能してなくて、もう片方も3分の1ぐらいしか動いてないらしい」
「肺血栓?」
「肺の動脈に血の塊が詰まる病気なんやて。
で、詰まってるから酸素が全身に行き渡らなくて、低酸素血症を起こしてるって」
「で?」
「とりあえず人工呼吸器をつけて強制的に酸素を肺に送りながら、
血栓を溶かす薬を入れて数日様子見ようって話。
で、うまく溶けなかったら手術する可能性もあるらしい」
突然のことで頭が混乱したまま話を聞いていたが
「数日様子を見て」という言葉に、少し冷静さを取り戻した。
「数日、ってことは今どうこう、ってわけじゃないんやな?」
「うん、そうなるんかな。経過は見ていかないとダメみたいやけど」
「わかった、お父ちゃんは?」
「さっき病院で一緒にお医者さんから説明聞いて別れたんで、
もうちょっとしたら家に戻ると思う」
「わかった、じゃあ家に電話かけてみるわ。ありがとう」
30分ほどして実家に電話をかけると父親が出た。
「おお、淳史か。お姉ちゃんから話聞いたか?」
「うん聞いた。どうやったん?」
「いやな、1週間ぐらい前から息苦しい、調子悪いっていうててな。
病院連れて行ったら熱あって咳も出てたから『風邪っぽいので抗生物質出しときましょう』って
貰ってきたんやけど、飲んでも効かんでな」
「そりゃ肺血栓なら効かんわ!で?」
「で、良くならんから循環器科の別の病院に連れて行って、
一回検査したほうがいいかもしれませんねっていわれて、
実は明日な、紹介状書いてもらって赤十字病院にいく予定してたんや…」
「…そうなんや」
「でも今朝3時ぐらいに『救急車呼んで』って自分から言い出してな」
肺の片方の3分の1しか動いてなかったら、そりゃ息苦しくもなるだろう。
水に溺れているわけでもないのに息ができない…どれだけ苦しかったのか。
「とりあえず仕事終わったばっかりでしばらく何もないから、何か手伝いに帰るわ」
「いや、無理せんでええぞ。お医者さんも薬でしばらく様子見るって言うてるし、
そんな心配することもないから」
「まあそういいなや。明日朝イチの新幹線乗るわ」
「そうか?仕事ホンマに大丈夫なんか」
「大丈夫大丈夫。じゃあ明日…」
命に別状はないということで一安心し、電話を切ろうとしたその時、
受話器の向こうで両親と同居している兄の声が聞こえた。
「今携帯に病院から連絡あって、容態が悪化したから手術の手続き始めますって!」
「え?え?」
「もう手術せんと危ないって!」
父親のうろたえる声が聞こえる。
「お父ちゃん!お父ちゃん!」
受話器に向かって、出せるだけの大声を出した。
「あ、ああ、淳史?今な病院から…」
「聞こえてた。今からすぐ用意して今日中に神戸戻るわ!」
「そ、そうか」
「新幹線乗ったらまた連絡する!」
かばんに簡単な着替えだけを詰め込み、家を出た。
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21時ジャスト東京発、23時33分新大阪着ののぞみに乗車。
新幹線の中では、姉からメールで逐一状況の報告を受けた。
担当医の話によると
まず人工呼吸器で酸素を送り込んだが、うまく酸素が血中にまわらなかったこと。
そこで補助人工心臓をつけ、酸素の溶けた血液を流し始めたが、
これも元々の酸素が少ない血液と混じってしまいうまく行き渡らなかったこと。
そうこうしているうちに低酸素血症が進行し、
このままでは窒息死してしまう状況まで容態が悪化したこと。
すぐに胸を開け血栓を取り除かなくては、100%命はない、と宣告を受けたこと。
ただし手術後に助かるかどうかはやってみないとわからないといわれたこと。
『そんなこんなで、今麻酔医の説明を聞いてます』
姉のメールは、それを最後に音沙汰がなくなった。
ただ列車に揺られているしかできないので、いろんな考えが頭の中を駆け巡る。
(これ、ダメかもしれないな…)
毎年1回しか帰省のできない貧乏漫画家が、数年前に思いついたくだらない行事。
それは「これが最後になるかもしれんから、仮の別れを済ませておこう」と、
実家を出る直前の玄関先で両親の写真を一枚パチリと撮り、
「お世話になりました、もしあの世に行ってもお元気で!さようなら」と挨拶をすることだった。
これは冗談半分、でも本気も半分。
両親は共に昭和9年生まれ。70歳代後半という、どれだけ元気でいても
何かの拍子でいつポックリ逝くかわからない…そんな年齢になっている、ということを
意識した上での、自分なりの心の準備をしておきたい気持ちから始めたものだった。
しかし、実際に母親が命の危険にさらされている状況に直面して、
そんなものはただの自己満足の言い訳に過ぎないことを痛感した。
死んだあとのことなんて、何もイメージできていないじゃん、俺。
(胸を開ける手術に、この年齢で耐えられるのか?)
(血栓を取り除けたとして、予後はどうなんだ?)
まもなく京都だという車内アナウンスが聞こえた23時ごろ、ようやく姉から次のメールが来た。
『23時から手術を始めるそうです。直接病院の家族控室に向かって』
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新大阪で在来線に乗り換え、神戸へ。
実家の最寄り駅である住吉を越え、灘駅で下車。
時間は0時を少し回っていた。
止まっていたタクシーに乗り込み、行き先を告げる。
「日赤病院までお願いします」
わずか5分ほどの乗車時間が、異様に長く感じられた。
途中で運転手さんが
「誰かお知り合いが入院されているんですか?」
と尋ねてきた。少し迷ったが、事実を話す。
「今、母が手術中なんですよ」
運転手さんは、病院手前の信号に捕まったところでメータを止めてくれた。
「すいません」
「いいんですよ。そこの奥が夜間の入口ですから」
同じような客を過去にも乗せたことがあるのだろう。
手前のターミナルに停車してもらい、小走りで夜間入口に向かった。
窓口の守衛さんに名前を告げ中に入ると、エレベーター前に兄が待っていた。
「お疲れさん」
「うん。どうなん」
「もう始まってると思うけど、中のことはさすがにわからんわ」
家族控室に入ると、父親と姉、そして明日は学校が休みだということで、大学生になる姉の娘がソファーに
座っていた。
父親に声をかける。
「お父ちゃん」
「ああ、ご苦労さんやな」
「大変やったなあ」
朝の3時に救急車を呼んでから、ずっと起きていた父親の顔は憔悴しきっていた。
「手術ってどのくらいかかるっていわれたん?」
「3~4時間って説明では言われたけど」
「まだかかるんやったらちょっと寝たほうがええわ。全然寝てないんやろ?」
「いや、まあな」
「ここでお父ちゃんまで倒れたら本末転倒やで。寝な」
「…わかった」
眠るといってもここではソファーに横になるぐらいしか出来ないのだが、
それでもしないよりはマシだ。
「姉ちゃんも兄ちゃんも。明日仕事やろ?こういう時のために夜型人間が活躍せな。
いくらでも起きてるから任せといて。連絡来たら起こすから」
そう言ったが、みなしばらくは寝付ず、横になったまま目を開けていた。
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執刀医の先生が控室に入ってきたのは、窓の外の空も明るくなり始めの、5時を少し回った頃だった。
「手術終わりましたので、こちらへ来てください」
父親たちを起こし、ミーティングルームのようなところへ通される。
全員で囲むように座ると、先生が口を開いた。
「とりあえず救命措置としての手術は成功しました」
成功、という言葉に安堵の空気が広がる。
「では一から説明していきましょう」
用意された紙に心臓と肺の図を描きながら、病状と手術内容を
非常にわかりやすく説明していく先生。
まず、血の塊は足の先で作られ、それが肺まで運ばれて詰まったということ。
これがもし脳に飛んでいたら脳梗塞を起こす原因になるということ。
血栓によって肺の機能が失われていたため、命に関わる緊急を要する手術であったこと。
手術に際して、人工心肺という心臓の代わりにポンプで血液を送る装置を装着したこと。
そしてその装置を約120分間作動させていたこと。
その間、母親の心臓を停止させ、肺動脈を切開して血栓を取れるだけ取り除いたこと。
肺動脈を縫合後、再び心臓を動かし、人工心肺を取り外したこと、など。
母親の心臓は80分程度止められていたらしい。
そんなに止まっていても蘇生が可能なんだ…と、驚いていると、
「状況によりますが、今の技術では最大5時間止められます」
といわれさらに驚いた。
「これが取り除いた血栓です。ご覧になりますか」
シャーレの中には、親指の大で先が細かく枝分かれした血の塊が入っていた。
「こんな大きな塊が…」
ただただ呆然とシャーレを見つめる我が家族。
「それで、これからなんですが…」
先生の説明によると、今回の手術によって取れる限りの血栓を取り除いたが、
全てではないのでまた詰まる可能性は残されている。
次に詰まったらもう一回胸を開いて…というのは難しい、と。
血栓ができにくいよういろんなケアをしていかなくてはならないし、
歩いたり、リハビリなどの必要性も重要で、とにかく油断はできない、
今までと同じ生活を…というわけにはいかないだろうということだった。
また、時間もかかりそうだということも。
「あと数十分で術後の処置が終わりますから、ICUで面会できますよ。
麻酔が効いているのでしばらく意識はありませんが」
「どうもありがとうございました」
再び控室に戻ってきたが、しばらくみんな無言だった。
助かったけれど、手放しで喜べる状態ではない。
沈黙に耐えかねて、自分がしゃべりだした。
「えーと…とりあえず俺1週間ぐらいは大丈夫なんで、お父ちゃんの生活フォローするわ」
「フォローって何よ」
「いや、料理とかしますがな」
「できんの?」
「たいがいのもん作れるわ!」
しばらくして、看護師さんが面会可能と告げに来た。
ICUの入口手前で手指の消毒とマスクを装着し、中へ入る。
ベッドには、たくさんの管と計器を取り付けられた母親が眠っていた。
もちろん目が覚める気配はない。
「…救急車で運ばれた時よりも大分顔色が良くなってるわ…」
父親が言った。
切った胸には大きなガーゼがあてがわれ、母親の呼吸に合わせて上下していた。
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翌日まで醒めないだろうといわれていた麻酔だったが、母親は夕方に意識を取り戻し、
夜の面会時にはまばたきとうなずきで意思疎通が図れるぐらいになっていた。
「しばらくお父ちゃんの面倒見るから、しっかり治しや」
コクリとうなずく母親。
いま自分が置かれている状況を理解しているのだろうか。
実家に戻り、食事の支度をして父親と二人で食べた。
「この1週間、お母ちゃんが作ったことないもんを作るわ」
「ああ、頼むわ」
うん。とにかく今は自分に出来る限りのことをしよう。
そう考えて出した結論は、料理を作ることと話し相手になることぐらいだったが、
生まれて初めて、父親と二人だけで長時間話をする機会を持ち、
今まで聞いたことのなかった戦時中、疎開先での出来事などを詳しく知ることができたのは正直嬉しかった
。
話があまりにも興味深く面白かったので、途中から仕事で使うボイスレコーダーで録音したりもしたぐらい
だ。
話をしていると父親も気が紛れるようで、終戦後にどんな暮らしをしてどんな仕事に就き、
どうやって母親と知り合ったかまで…聞いていない話までも詳細に語ってくれた。
しかし、それが母親が倒れたことがきっかけだったことは…複雑だった。
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4月21日土曜日。
この日は実は、嫁の誕生日だった。
朝に電話を入れると、少し泣いているような声をしている。
どうしたのか聞くと、
「お母さんから誕生日のお祝いが届いたの…」
どうやら調子が悪くなりかけの時に、送ってくれていたらしい。
「わかった、今日ありがとうって伝えとくわ」
午後、父親と面会に行くと…母親はなんと、クリップボードに紙を挟んで、
筆談でコミュニケーションをとり始めていた!
『クルシカッタ』
『ハヤクシャベリタイ』
『イツデラレル?』
何故かカタカナでの筆談に苦笑いしながら、脅威の回復力に内心驚いていた。
「○○(嫁の名前)がな、誕生日のお祝い届いたって。ありがとうな」
『シンドクテ テガミノ ジガ ヘタニナッタ』
「大丈夫、ちゃんと読めたっていうてたから」
もちろんまだ人工呼吸器もついたままだし、ICUから出るまでは、油断できない。
けど、この筆談する姿を見て、意外と回復は早いのでは?という期待を持った。
そして…その予想は、毎日すこしずつ当たっていった。
4月22日日曜日。
この日は人工呼吸器が外れたため、会話が可能になった。
術後は「いつ取れるかまだわかりませんね」といわれていたのに、だ。
「やっとしゃべれたわ…」
よっぽどストレスがたまっていたのだろう。
面会時間の間、ゆっくりだが一人でしゃべり続けていた母親。
「しゃべりすぎて看護師さんに迷惑かけなや!」
と捨てゼリフを吐いて、その日は帰った。
父親は人工呼吸器装着が長引くと声帯をやられて声が出なくなってしまうことがある、
という情報をどこからか聞いていて外れる時期をすごく気にしていたので、
とにかく嬉しかったようだ。
自宅に戻ってからも「ハズレて良かった、良かった」と、
何十回も繰り返しつぶやいていた。
4日目、5日目も経過良好。
検査で足に再び血栓らしきものが見つかったので、
お腹の静脈に「ステント」という網状の器具を入れて
血の塊が早脳に飛ぶのを防ぐ処置をした以外は体調もよく、
口の方も絶好調。
そして、4月26日木曜日。
手術後6日目。次の日に埼玉へ戻るので、これが最後の面会だ。
この日は朝、口から食事を採ったことを知らされた。
「お母ちゃん、明日一旦埼玉帰るけど、またGWに子供連れて来るわ」
「何いうてんの。あんた8月に○○ちゃん(嫁の名前)のお父さんの7回忌あるんやろ?
そんな何回も帰って来んでええよ」
「でも子供らばあちゃんに会いたいって言うてたぞ?」
「きっとまだ」
「ん?」
「8月までやったら生きてるから大丈夫やわ」
…その言葉を、全面的に信じよう。
「…そうか。そうやな。じゃあ8月にまた来るわ」
こうして、長い長い…おそらく今まで生きてきた中で一番長く感じた1週間が、終わったのである。
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4月28日土曜日
埼玉に戻った次の日。
1週間ぶりに会った娘たちにせがまれ、公園で遊んでいる時に姉から電話が入った。
少しドキッとしたが「今日の昼にICUを出て一般病棟に移った」との知らせ。
ブランコで遊んでいた娘たちを呼び、そのことを話した。
「とっとばあちゃん、もう死なないの?」
「多分ね。夏休みに確かめに行こう」
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そして…
5月14日月曜日。
母の日の翌日である今日。
母親は退院して自宅に戻ってくる予定だ。
自宅でのリハビリ・ケアなど大丈夫なのか?
ちょっと早すぎないか?という心配もあるが、
早く家に戻りたいと思っていた母親と、早く戻って来て欲しいと思っていた父親の
気持ちを最優先させたということなのだろう。
そこに文句なんて言えない。
昨日付けで、娘たちの最近の写真を何十枚かアルバムに入れて、嫁が送っておいてくれた。
今日、見てくれるだろうか。
いや、別に無理して今見る必要はないか。
8月に実物の孫を連れて帰るんだから。
約束、約束!
色々なものが「蠢く」春 [雑談]
実験と名のつくモノは、たいてい最終的に大爆発を起こして髪型がアフロになるのがお約束なのだ [雑談]
夏休みに入ってまもなくの話。
小3の長女が手に生卵をひとつ持って、仕事部屋に入ってきた。
「とっと、ガラスのコップってある?」
「え?たぶんキッチンにあると思うけど…どうした?」
「じっけんするの」
「実験?」
「うん、お酢にね、卵をつけてやわらかくするじっけん」
「!」
話を聞いた瞬間、小学生の頃読んだ「手品・奇術入門」に載っていた
1枚の絵が、強烈に記憶によみがえってきた。
それは
「卵がビンの中に入っている絵」
であった。
ビンはもちろん口が細く、どう考えても卵はそこから入らない。
でもビンに細工は一切していない、というマジックを解説したページであった。
そのタネ明かしの文章は、確かこんな感じだった。
『卵を酢に1週間ほど漬けておくと殻ごと柔らかくなるので、これを手で細長く伸ばし、
ビンの中に入れる。入れた後しばらくすると卵は元の形に戻るので、これで完成です』
(卵を殻ごと手で細長く伸ばす…?な、なんじゃそりゃ~~~~!)
超興味をそそられ、大興奮!
もう何が何でもやってみたくなって、
早速母親に卵と酢が欲しいとせがんだのだが…
「アホ。食べ物で遊ぶなんてアカンに決まってるやろ!」
と一蹴されてしまった。
「遊びと違う!マジックやねん!」
「マジックて、思いっきり遊びやないの!」
必死の抵抗もむなしく…卵を手で細長く伸ばしてみたい、
という夢は、ついに叶えられることはなかったのである。
「学校でね、夏休みの宿題で出たの。観察レポート書くんだ」
娘の声で我に返った。
「おおっ…そ、そうか!いい実験だな、それは是非やりなさい!」
「わかった、じゃ台所でコップ探してくる」
「ああ!待ちなさい。とっとが探してあげるから。お酢も必要だろ?」
「う、うん」
「よし、じゃあ一緒に2階に上がろう」
数十年ぶりに訪れたこの大チャンスを、絶対にモノにしなくては!
正直、それからの1週間は苦痛であった。
いちおう建前は娘の実験なので、出しゃばることはせず。
あくまで親の立場を取りつつ、だが心は酢漬けの卵に完全に奪われていた。
(早く伸ばしたい!伸ばしたい!)
キッチンの横を通る時、カウンターに置いてあるコップを
横目でさりげなく観察する。
3日目ごろから殻の表面に気泡がつき始め、
いかにも殻が軟化を始めてますといった風情。
(もう少しの辛抱だ…)
「とっと!卵見た?」
「ん?ああ、チラッとだけどな。何か変化あったか?」
「いっぱい泡が出てるよ。何の泡だろう?」
「ん~…さあ、なんだろうねえ」
受け答えもついそぞろになる。
出来ることなら1日中このコップのそばで、
卵が変化していく様を見つめていたい…
いや、さすがにそれはオーバーだけど、
数十年越しの思いというものは、
想定以上に強烈であった。
だめだ。
このままでは仕事に支障をきたしてしまう。
別に卵は逃げないんだし、とりあえず今の仕事が終わっら、
そのご褒美的なものとして、卵を細長く伸ばそう。
うん、そうしよう。
そこは大人。そこから4日間は、卵のことを忘れて必死で仕事に打ち込んだ。
さて、そんなこんなで修羅場明け。
スタッフさんたちも引き上げ、仕事部屋の椅子に腰かけたままぐったりしていると、
娘が仕事部屋に入ってきた。
「とっと、お仕事終わった?」
「うん、一応終わったよ。今編集さんに間違いとかがないかチェックしてもらってるところ」
「終わったら遊べる?」
「少し寝たら大丈夫だよ」
「あのね」
「ん?」
「卵なんだけど…ホラ、こんなになったんだよ」
娘が例の卵を手のひらに乗せて見せてくれた。
「すごい殻が柔らかくなってるの。触ってみる?すごくお酢臭いけど」
「いや!今はやめとく。あとで触らせて」
ここまでガマンしたんだから、思いを成就させる瞬間は、最高のシチュエーションにしたい。
ちゃんと睡眠をとって、風呂にも入って髭を剃って身を清めて…神聖な儀式に臨むのだ。
「とりあえず、写真撮っておこうか」
「うん」
「すごいゴムボールみたいなんだよ。プニュプニュしてる」
ふふふ。貴様、何を言っている?だからこそ細長く伸ばせるんじゃないか。
「○○(次女の名前)には見せたの?」
「ううん、まだ」
「見せてもいいけど気をつけてね。あいつ触り倒して壊しちゃいそうだから」
「うん、気をつける。こんなに柔らかいからね」
「 とにかくさ、コップに戻しておき…」
ペシャッ!
「あっ!」
…すごく…すごぉ~く、いやな音がした。
そして、すごく、すごぉ~く臭い匂いがした。
仕事部屋の床にぶちまけられた、酢漬け卵。
「ごめんなさい…」
忘れていた。我が家のクラッシャーは、
次女ではなく長女の方だったということを。
怒られると思って今にも泣きそうな顔をしている長女。
「こ…壊れちゃったものはしょうがないね…掃除しなさい…」
そういうのが精一杯だった。顔が引きつる…
「はい。でも、壊れる前にとっとが写真とってくれてて、よかった」
ぶちまけた卵を雑巾で拭きながら、長女が言った。
そうか。願い事ってそんな簡単に叶うもんじゃないってことか。
次のチャンスはおそらく2年後…次女が3年生になった時、同じ宿題が出るかどうかだ。
もしなかったらどうしよう?
その時はその時。
子供たちが成人して家を出て行ったら、
ゆっくり盆栽でも楽しむつもりで卵を酢漬けにしてみるか。
なんてことを考えていたら、もうどうでもよくなってしまった。
なんにせよ、1週間ほど仕事部屋は酢のにおいが充満してました。
仕事明けでホントよかった…
最後に。
これ、手品か?
ニャンコ名付け物語② 「ある日突然舞い降りてきた天使の仔猫」 [雑談]
梅雨が明け、暑い日が続いている。
体毛豊かなネコどもにとって、これほどつらい季節はないのではないか。
自分が真夏に毛皮をまとっているところを想像しただけで、汗が吹き出る…
ただ不思議なもので…どれだけ暑くても、
彼らは冷房の効いた部屋で基本的に過ごそうとはしない。
人工的に作り出された冷たさをどう感じ取っているのかわからないが、
とにかく家の中でも比較的気温の低い1階の廊下で、
冷たい床に身体を密着させたりして、熱を逃がしているようだ。
さて。
今回紹介するのは、我が家の「実質的」次女
モリ ハピ(10歳)。
実はこのブログやtwwiter、mixi、facebookなどには、すべて彼女の画像を使うぐらい、
私は彼女にメロメロなのである。
典型的な和ネコの柄のひとつである「ハチワレの白黒」。
ハチワレ、とは読んで字の如く顔の柄が漢数字の「八」みたいに分かれているものを指す。
別名「パトカーネコ」。
頭にサイレンでもつけようものなら、今にも犯人を捕まえに行きそうな風情だ。
ただ、彼女がその辺のハチワレネコと一線を画しているのは、ココ↓
そう!この尻尾の先が、ワンポイントで白いところなのだ。
これがもう猛烈にいとおしい。
これ!そこのネコに詳しいあなた!
普通じゃん、とかいわない!
親バカだっつうの!
このハピが我が家にやってきたのは、ちょうど10年前の6月。
この話をすると大抵の人は信じてくれないのだが、
彼女は買ったのでも貰ったのでも拾ったのでもなく、
本当に自分から我が家に「やってきた」のである。
「にゃー、にゃー」
その日仕事をしていていたら、窓の外からネコの鳴き声が聞こえてきた。
当時住んでいたマンションの周辺は緑が豊かで、多くの野良ネコが生息していた。
だから鳴き声が聞こえるなんていつものことだったのだが、
その鳴き声は明らかにいつもの野良たちが発するそれとは違っていて、
すでに飼っていた長女ネコのゴモクが嫁にエサをねだる時のような、
要求的な部分が感じ取れたのだ。
「にゃー、にゃー」
しかもどうやら仔猫っぽい。
「なんだ…?」
絵を描く手を止め、仕事部屋のすぐ横にある玄関のドアを開けた。
すると…
まさにこの画像のような感じで、玄関先に彼女はちょこんと座っていたのだ。
「…」
あまりに突然のことでボケッと見ていると
「にゃー」
とひと言発したあと、なんと彼女は何のためらいもなく、
その玄関から我が家の中へトコトコ入ってくるではないか!
(えっえっ?)
「にゃー、にゃー」
自分には目もくれず、キッチン、そしてリビングへ。
「にゃー、にゃー」
…誰かを探しているような行動に、ピンときた。
野良ネコの生態を少しでも知っている人ならわかると思うが、
野良として育ったネコは警戒心がとても強く、
人の見ている前で自ら民家に入ってくるようなことは絶対にしない。
この子は、間違いなくどこかで飼われていたネコだ。
そして、明らかに誰かを探している。
『…まさか…捨てられたのか!』
ここを自分が直前まで暮らしていた家と勘違いし、
主を探して鳴いているのだ。
自分が捨てられたなんて、夢にも思わずに。
「にゃー、にゃー」
どんどん部屋の奥まで入っていく彼女を後ろからそっと抱き上げ、
エサ皿のところに連れていったやった。
緊張と不安からか、エサには目もくれずふたたび鳴き声を発する彼女。
「にゃー、にゃー」
…もちろんネコは口を利けないので、本当に捨てられたのかどうかは、わからない。
だが、見た目生後2ヶ月ほどのネコが、迷ってここまでやってきたとは考えにくかった。
とにかく、この日から彼女は、モリ家の次女として迎え入れられたのである。
その夜、早速彼女の名前を考えた。
長女ネコ・ゴモクは、まさに「五目散らし寿司」のようなあらゆる模様が入り混じっている、
その「見た目」で、決定された。
もちろん、その伝統に今回も則らねばならない。
…彼女は、前述したとおりどう見ても「パトカー」だったが、
まさか、いくらなんでもそんな名前をつけてやるわけにはいかないし、
第一、自分の名付け親としてのセンスも疑われる。
もう一度、頭のてっぺんから尻尾の先まで、彼女の特徴をくまなく探した。
そして、決めた名前が「ハピ」。
決して「ハッピー」ではない、「ハピ」。
その理由は…
鼻がピンクだから。
「ハ」ナが「ピ」ンクだから。
……。
いやいや!
桃から生まれたから「桃太郎」よりよっぽどセンスあると思いますけど!
早速、彼女を呼んでみた。
「ハピ!」
「にゃー?」
ここでお前と出会ったのは何かの縁。
一生懸命育ててやるから、のびのび生きろ。
俺は絶対に、お前を捨てたりしないから。
もう不安いっぱいの鳴き声を出さなくてもいいぞ。
その願いどおり、彼女は本当にのびのびと天真爛漫に育った。
見た目のかわいさと裏腹に、なんかちょっと体臭がキツイなあ、と思っていたら、
お腹の中に超ロングなサナダ虫を宿していたり(体臭の元になっていたらしいです)
トイレの覚えがやや悪く…というか、トイレの場所まで行くのがめんどくさい時に限って
柔らかいお布団の上に黄色い地図を描いたり
2年程経って、なんか下腹部の張りが急に目立つようになり、
トイレも出来ていないようなので「ま、まさか腸に何か詰まったのかも!」
と心配になって動物病院へ連れて行って診てもらったら
「大丈夫、ただの太りすぎです」
といわれたり
そして極めつけは、その寝相の凄さ愛らしさ
「おいもう~!たのむよハピ~!」
トラブルが起こるたび、抱き上げて懇願するのだけど、
その度彼女はなんの曇りもない綺麗な瞳をこちらに向け
「うにゃ?」
このひと鳴きで
すべて許せてしまうぐらい…
私は彼女に今もメロメロなのです。
ね、ハーピッ。
↓おまけ画像 スプレー缶のフタを頭に載せ、まさにパトカー気取りのハピ
要は、気持ちひとつなんだ。 [雑談]
「とっと!階段のところにコレ落ちてたよ!」
小3の娘が仕事部屋のドアを開けて大きな声でそういった。
「なに?」
娘の手元を見ると、なにやら薄汚れた白い紐のようなものを持っている。
受け取って、初めてそれが何かに気づいた。
ミサンガである。
2年前、小学校入学と同時に学童へも通いだした娘は、
そこで毎日いろんな遊びを覚えてきた。
その中のひとつが、手作りのミサンガだったのだ。
「今日こんなのつくったの!とっとの手に結んであげるね」
恐らく生まれて初めて作ったであろうミサンガを、
自分の腕に巻いてくれた時の娘のうれしそうな顔は、
今でも鮮明に覚えている。
「何か願い事するんだよ。何にする?」
「そうだなあ、何がいいかな」
「母ちゃんはね、ダイエットできますようにがいいんじゃないかって言ってたよ」
「…そ、そうか(あのクソアマ余計なことを…)」
気を取り直して
「じゃあさ、お仕事がうまくいきますようにってお願いするよ」
「うんわかった。はい、できたよ!」
「ありがとう」
気持ち的には、黄金のブレスレット。
娘手作りの、世界にひとつしかないミサンガ。
(…親になって、よかった…)
こみ上げるものをこらえながら、仕事への決意を新たにしたのである。
…とまあ、並べようと思えばいくらでも美談に出来るのであるが、
日常生活においては少々問題があった。
白い紐を編み上げて作ったそれは、当初地黒の自分の左腕で
純白の輝き(?)を放っていたのだが、
その日の夕食の時、結び目から垂れ下がっていた先の部分を
味噌汁にドップリ浸けてしまう大失態を犯してしまう。
「とっと!入ってる!入ってる!」
嫁の指摘で慌てて洗面所へ。
石鹸をつけてもみ洗いするも、何かほんのり味噌汁の色がつき、
さらに味噌と石鹸の香りが混じって微妙なことに…
ドライヤーで乾かしたらなんとか体感的に
元の90%ぐらいまでは回復したので安心していたら、
数日のうちにまた油断してしまい…
今度は我が家の定番メニューでもある「かんたん白菜豚鍋」を食している最中、
これまた我が家の定番アイテムである「食べてビックリ!完全味付け旭ポンズ」の中に、
前回よりもさらにドップリとミサンガの結び先をつけてしまう事態に…!
左腕に直接結び付けているので漂白剤を使うことも出来ず、
黄金よりも価値のあるはずのミサンガは
「えっ?これ元々何色?」
と疑問に思うぐらい、どんどん変色していったのだ…
それでも、1ヶ月もすればその内つけていることを忘れるほど体に自然になじみ、
まあだからこそ切れて階段のところに落ちていたのも気づかなかったわけだが…
先日、やっとブログを久々に更新し、仕事やその他のいろんなことに対して
新たな気持ちで臨んでいこうという気になったのは、ミサンガがそろそろ切れることを
どこかで本能的に感じ取っていたのかもしれない。
願い事ごとを思い返す。
『お仕事がうまくいきますように』
これはもう、信じてやっていくしかない。
ね。