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母親のこと、あれこれ。 [雑談]

4月19日木曜。

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神戸の実家に住む母親が倒れた、という知らせを受けたのは、
修羅場明けのテニススクールで汗を流して帰ってきた午後、もう夕方近くのことだった。

仕事部屋でメールチェックしていると、嫁が電話の子機を持って飛び込んできた。

「お母さん今朝倒れて、救急車で病院運ばれたって!」

電話を変わると、同じく神戸に住んでいる姉がまくしたてた。

「あんた何してたん?今朝○○(兄の名前)がメール出したのに返事ないからって!」
「メール?今見てたけど何も届いてないよ」
「携帯よ!ちゃんと見た?」

あわてて携帯を取り出す。電話番号で送れるショートメールの方に着信があるのを確認した。

「ショートメールなんか普段使わんから気づかんかったわ!それより容態は?」
「肺血栓起こしてて、肺の片方が全然機能してなくて、もう片方も3分の1ぐらいしか動いてないらしい」
「肺血栓?」
「肺の動脈に血の塊が詰まる病気なんやて。

で、詰まってるから酸素が全身に行き渡らなくて、低酸素血症を起こしてるって」
「で?」
「とりあえず人工呼吸器をつけて強制的に酸素を肺に送りながら、
 血栓を溶かす薬を入れて数日様子見ようって話。
 で、うまく溶けなかったら手術する可能性もあるらしい」

突然のことで頭が混乱したまま話を聞いていたが

「数日様子を見て」という言葉に、少し冷静さを取り戻した。

「数日、ってことは今どうこう、ってわけじゃないんやな?」
「うん、そうなるんかな。経過は見ていかないとダメみたいやけど」
「わかった、お父ちゃんは?」

「さっき病院で一緒にお医者さんから説明聞いて別れたんで、
 もうちょっとしたら家に戻ると思う」
「わかった、じゃあ家に電話かけてみるわ。ありがとう」

30分ほどして実家に電話をかけると父親が出た。

「おお、淳史か。お姉ちゃんから話聞いたか?」
「うん聞いた。どうやったん?」
「いやな、1週間ぐらい前から息苦しい、調子悪いっていうててな。
 病院連れて行ったら熱あって咳も出てたから『風邪っぽいので抗生物質出しときましょう』って
 貰ってきたんやけど、飲んでも効かんでな」
「そりゃ肺血栓なら効かんわ!で?」
「で、良くならんから循環器科の別の病院に連れて行って、
 一回検査したほうがいいかもしれませんねっていわれて、
 実は明日な、紹介状書いてもらって赤十字病院にいく予定してたんや…」
「…そうなんや」
「でも今朝3時ぐらいに『救急車呼んで』って自分から言い出してな」

肺の片方の3分の1しか動いてなかったら、そりゃ息苦しくもなるだろう。
水に溺れているわけでもないのに息ができない…どれだけ苦しかったのか。

「とりあえず仕事終わったばっかりでしばらく何もないから、何か手伝いに帰るわ」
「いや、無理せんでええぞ。お医者さんも薬でしばらく様子見るって言うてるし、
 そんな心配することもないから」
「まあそういいなや。明日朝イチの新幹線乗るわ」
「そうか?仕事ホンマに大丈夫なんか」
「大丈夫大丈夫。じゃあ明日…」

命に別状はないということで一安心し、電話を切ろうとしたその時、
受話器の向こうで両親と同居している兄の声が聞こえた。

「今携帯に病院から連絡あって、容態が悪化したから手術の手続き始めますって!」
「え?え?」
「もう手術せんと危ないって!」

父親のうろたえる声が聞こえる。

「お父ちゃん!お父ちゃん!」

受話器に向かって、出せるだけの大声を出した。

「あ、ああ、淳史?今な病院から…」
「聞こえてた。今からすぐ用意して今日中に神戸戻るわ!」
「そ、そうか」
「新幹線乗ったらまた連絡する!」

かばんに簡単な着替えだけを詰め込み、家を出た。

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21時ジャスト東京発、23時33分新大阪着ののぞみに乗車。
新幹線の中では、姉からメールで逐一状況の報告を受けた。

担当医の話によると

まず人工呼吸器で酸素を送り込んだが、うまく酸素が血中にまわらなかったこと。

そこで補助人工心臓をつけ、酸素の溶けた血液を流し始めたが、
これも元々の酸素が少ない血液と混じってしまいうまく行き渡らなかったこと。

そうこうしているうちに低酸素血症が進行し、
このままでは窒息死してしまう状況まで容態が悪化したこと。

すぐに胸を開け血栓を取り除かなくては、100%命はない、と宣告を受けたこと。
ただし手術後に助かるかどうかはやってみないとわからないといわれたこと。

『そんなこんなで、今麻酔医の説明を聞いてます』

姉のメールは、それを最後に音沙汰がなくなった。
ただ列車に揺られているしかできないので、いろんな考えが頭の中を駆け巡る。

(これ、ダメかもしれないな…)

毎年1回しか帰省のできない貧乏漫画家が、数年前に思いついたくだらない行事。
それは「これが最後になるかもしれんから、仮の別れを済ませておこう」と、
実家を出る直前の玄関先で両親の写真を一枚パチリと撮り、
「お世話になりました、もしあの世に行ってもお元気で!さようなら」と挨拶をすることだった。

これは冗談半分、でも本気も半分。
両親は共に昭和9年生まれ。70歳代後半という、どれだけ元気でいても
何かの拍子でいつポックリ逝くかわからない…そんな年齢になっている、ということを
意識した上での、自分なりの心の準備をしておきたい気持ちから始めたものだった。

しかし、実際に母親が命の危険にさらされている状況に直面して、
そんなものはただの自己満足の言い訳に過ぎないことを痛感した。

死んだあとのことなんて、何もイメージできていないじゃん、俺。

(胸を開ける手術に、この年齢で耐えられるのか?)

(血栓を取り除けたとして、予後はどうなんだ?)

まもなく京都だという車内アナウンスが聞こえた23時ごろ、ようやく姉から次のメールが来た。

『23時から手術を始めるそうです。直接病院の家族控室に向かって』

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新大阪で在来線に乗り換え、神戸へ。
実家の最寄り駅である住吉を越え、灘駅で下車。
時間は0時を少し回っていた。
止まっていたタクシーに乗り込み、行き先を告げる。

「日赤病院までお願いします」

わずか5分ほどの乗車時間が、異様に長く感じられた。
途中で運転手さんが

「誰かお知り合いが入院されているんですか?」

と尋ねてきた。少し迷ったが、事実を話す。

「今、母が手術中なんですよ」

運転手さんは、病院手前の信号に捕まったところでメータを止めてくれた。

「すいません」
「いいんですよ。そこの奥が夜間の入口ですから」

同じような客を過去にも乗せたことがあるのだろう。
手前のターミナルに停車してもらい、小走りで夜間入口に向かった。
窓口の守衛さんに名前を告げ中に入ると、エレベーター前に兄が待っていた。

「お疲れさん」
「うん。どうなん」
「もう始まってると思うけど、中のことはさすがにわからんわ」

家族控室に入ると、父親と姉、そして明日は学校が休みだということで、大学生になる姉の娘がソファーに

座っていた。
父親に声をかける。

「お父ちゃん」
「ああ、ご苦労さんやな」
「大変やったなあ」

朝の3時に救急車を呼んでから、ずっと起きていた父親の顔は憔悴しきっていた。

「手術ってどのくらいかかるっていわれたん?」
「3~4時間って説明では言われたけど」
「まだかかるんやったらちょっと寝たほうがええわ。全然寝てないんやろ?」
「いや、まあな」
「ここでお父ちゃんまで倒れたら本末転倒やで。寝な」
「…わかった」

眠るといってもここではソファーに横になるぐらいしか出来ないのだが、
それでもしないよりはマシだ。

「姉ちゃんも兄ちゃんも。明日仕事やろ?こういう時のために夜型人間が活躍せな。
 いくらでも起きてるから任せといて。連絡来たら起こすから」

そう言ったが、みなしばらくは寝付ず、横になったまま目を開けていた。

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執刀医の先生が控室に入ってきたのは、窓の外の空も明るくなり始めの、5時を少し回った頃だった。

「手術終わりましたので、こちらへ来てください」

父親たちを起こし、ミーティングルームのようなところへ通される。

全員で囲むように座ると、先生が口を開いた。

「とりあえず救命措置としての手術は成功しました」

成功、という言葉に安堵の空気が広がる。

「では一から説明していきましょう」

用意された紙に心臓と肺の図を描きながら、病状と手術内容を
非常にわかりやすく説明していく先生。

まず、血の塊は足の先で作られ、それが肺まで運ばれて詰まったということ。
これがもし脳に飛んでいたら脳梗塞を起こす原因になるということ。

血栓によって肺の機能が失われていたため、命に関わる緊急を要する手術であったこと。

手術に際して、人工心肺という心臓の代わりにポンプで血液を送る装置を装着したこと。
そしてその装置を約120分間作動させていたこと。
その間、母親の心臓を停止させ、肺動脈を切開して血栓を取れるだけ取り除いたこと。
肺動脈を縫合後、再び心臓を動かし、人工心肺を取り外したこと、など。

母親の心臓は80分程度止められていたらしい。
そんなに止まっていても蘇生が可能なんだ…と、驚いていると、

「状況によりますが、今の技術では最大5時間止められます」

といわれさらに驚いた。

「これが取り除いた血栓です。ご覧になりますか」

シャーレの中には、親指の大で先が細かく枝分かれした血の塊が入っていた。

「こんな大きな塊が…」

ただただ呆然とシャーレを見つめる我が家族。

「それで、これからなんですが…」

先生の説明によると、今回の手術によって取れる限りの血栓を取り除いたが、
全てではないのでまた詰まる可能性は残されている。
次に詰まったらもう一回胸を開いて…というのは難しい、と。
血栓ができにくいよういろんなケアをしていかなくてはならないし、
歩いたり、リハビリなどの必要性も重要で、とにかく油断はできない、
今までと同じ生活を…というわけにはいかないだろうということだった。
また、時間もかかりそうだということも。

「あと数十分で術後の処置が終わりますから、ICUで面会できますよ。
 麻酔が効いているのでしばらく意識はありませんが」
「どうもありがとうございました」

再び控室に戻ってきたが、しばらくみんな無言だった。
助かったけれど、手放しで喜べる状態ではない。
沈黙に耐えかねて、自分がしゃべりだした。

「えーと…とりあえず俺1週間ぐらいは大丈夫なんで、お父ちゃんの生活フォローするわ」
「フォローって何よ」
「いや、料理とかしますがな」
「できんの?」
「たいがいのもん作れるわ!」

しばらくして、看護師さんが面会可能と告げに来た。
ICUの入口手前で手指の消毒とマスクを装着し、中へ入る。

ベッドには、たくさんの管と計器を取り付けられた母親が眠っていた。
もちろん目が覚める気配はない。

「…救急車で運ばれた時よりも大分顔色が良くなってるわ…」

父親が言った。
切った胸には大きなガーゼがあてがわれ、母親の呼吸に合わせて上下していた。

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翌日まで醒めないだろうといわれていた麻酔だったが、母親は夕方に意識を取り戻し、
夜の面会時にはまばたきとうなずきで意思疎通が図れるぐらいになっていた。

「しばらくお父ちゃんの面倒見るから、しっかり治しや」

コクリとうなずく母親。
いま自分が置かれている状況を理解しているのだろうか。

実家に戻り、食事の支度をして父親と二人で食べた。

「この1週間、お母ちゃんが作ったことないもんを作るわ」
「ああ、頼むわ」

うん。とにかく今は自分に出来る限りのことをしよう。

そう考えて出した結論は、料理を作ることと話し相手になることぐらいだったが、
生まれて初めて、父親と二人だけで長時間話をする機会を持ち、
今まで聞いたことのなかった戦時中、疎開先での出来事などを詳しく知ることができたのは正直嬉しかった


話があまりにも興味深く面白かったので、途中から仕事で使うボイスレコーダーで録音したりもしたぐらい

だ。

話をしていると父親も気が紛れるようで、終戦後にどんな暮らしをしてどんな仕事に就き、
どうやって母親と知り合ったかまで…聞いていない話までも詳細に語ってくれた。

しかし、それが母親が倒れたことがきっかけだったことは…複雑だった。

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4月21日土曜日。

この日は実は、嫁の誕生日だった。
朝に電話を入れると、少し泣いているような声をしている。
どうしたのか聞くと、

「お母さんから誕生日のお祝いが届いたの…」

どうやら調子が悪くなりかけの時に、送ってくれていたらしい。

「わかった、今日ありがとうって伝えとくわ」

午後、父親と面会に行くと…母親はなんと、クリップボードに紙を挟んで、
筆談でコミュニケーションをとり始めていた!

『クルシカッタ』
『ハヤクシャベリタイ』
『イツデラレル?』

何故かカタカナでの筆談に苦笑いしながら、脅威の回復力に内心驚いていた。

「○○(嫁の名前)がな、誕生日のお祝い届いたって。ありがとうな」

『シンドクテ テガミノ ジガ ヘタニナッタ』

「大丈夫、ちゃんと読めたっていうてたから」

もちろんまだ人工呼吸器もついたままだし、ICUから出るまでは、油断できない。
けど、この筆談する姿を見て、意外と回復は早いのでは?という期待を持った。

そして…その予想は、毎日すこしずつ当たっていった。


4月22日日曜日。

この日は人工呼吸器が外れたため、会話が可能になった。
術後は「いつ取れるかまだわかりませんね」といわれていたのに、だ。

「やっとしゃべれたわ…」

よっぽどストレスがたまっていたのだろう。
面会時間の間、ゆっくりだが一人でしゃべり続けていた母親。

「しゃべりすぎて看護師さんに迷惑かけなや!」

と捨てゼリフを吐いて、その日は帰った。
父親は人工呼吸器装着が長引くと声帯をやられて声が出なくなってしまうことがある、
という情報をどこからか聞いていて外れる時期をすごく気にしていたので、
とにかく嬉しかったようだ。

自宅に戻ってからも「ハズレて良かった、良かった」と、
何十回も繰り返しつぶやいていた。


4日目、5日目も経過良好。
検査で足に再び血栓らしきものが見つかったので、
お腹の静脈に「ステント」という網状の器具を入れて
血の塊が早脳に飛ぶのを防ぐ処置をした以外は体調もよく、
口の方も絶好調。


そして、4月26日木曜日。
手術後6日目。次の日に埼玉へ戻るので、これが最後の面会だ。
この日は朝、口から食事を採ったことを知らされた。

「お母ちゃん、明日一旦埼玉帰るけど、またGWに子供連れて来るわ」
「何いうてんの。あんた8月に○○ちゃん(嫁の名前)のお父さんの7回忌あるんやろ?
 そんな何回も帰って来んでええよ」
「でも子供らばあちゃんに会いたいって言うてたぞ?」
「きっとまだ」
「ん?」
「8月までやったら生きてるから大丈夫やわ」

…その言葉を、全面的に信じよう。


「…そうか。そうやな。じゃあ8月にまた来るわ」

こうして、長い長い…おそらく今まで生きてきた中で一番長く感じた1週間が、終わったのである。

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4月28日土曜日

埼玉に戻った次の日。
1週間ぶりに会った娘たちにせがまれ、公園で遊んでいる時に姉から電話が入った。
少しドキッとしたが「今日の昼にICUを出て一般病棟に移った」との知らせ。
ブランコで遊んでいた娘たちを呼び、そのことを話した。

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「とっとばあちゃん、もう死なないの?」
「多分ね。夏休みに確かめに行こう」

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そして…

5月14日月曜日。

母の日の翌日である今日。

母親は退院して自宅に戻ってくる予定だ。

自宅でのリハビリ・ケアなど大丈夫なのか?

ちょっと早すぎないか?という心配もあるが、
早く家に戻りたいと思っていた母親と、早く戻って来て欲しいと思っていた父親の
気持ちを最優先させたということなのだろう。

そこに文句なんて言えない。


昨日付けで、娘たちの最近の写真を何十枚かアルバムに入れて、嫁が送っておいてくれた。
今日、見てくれるだろうか。
いや、別に無理して今見る必要はないか。

8月に実物の孫を連れて帰るんだから。

約束、約束!


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